プロジェクトストーリー【土木】駒ヶ根市 新大田切橋直下 災害応急復旧工事

【土木】駒ヶ根市 新大田切橋直下
災害応急復旧工事

地域に暮らす人々の
生活を守るために
24時間体制で
応急復旧工事を遂行!

2021年8月15日、大雨の影響により駒ヶ根市と宮田村を結ぶ広域農道に架かる新大田切橋の橋脚下部付近の護岸と河床(かしょう)の土砂が削り取られる被害が発生。長野県の伊南地域において通行はもちろん、水道や電気通信などのインフラ面でも重要な役割を担っている新大田切橋とあって、応急復旧工事が急務となりました。国土交通省より工事を担うことになった窪田建設ではプロジェクトを立ち上げ、8月24日から24時間体制で工事を開始。約1カ月、実際どのように工事を進めたのか、また災害復旧に立ち向かう上で大変だった点をメンバーに聞きました。

  • 小林 営業部 部長/1989年入社

    宮田村出身。現場での仕事が長かったが、2年前から営業部へ。今回は災害応急復旧工事ということで現場に入り、まさに水を得た魚だったそう。趣味は野球やソフトバレーなどスポーツ全般。ナイター野球では宮田村のチームに所属。

  • 小沢 土木事業部 部長/1991年入社

    駒ヶ根市出身。福島の大学を卒業後、土木を専攻していた関係と堅実な会社へ入社したいという希望から入社。以来ずっと土木部に所属。男の子3人の子育てが終わってしまったので、これから趣味を見つけるところ。今は孫の顔を見るのが楽しみ。

  • 那須野 土木事業部/2017年入社

    飯島町出身。入社後は、主に橋梁などコンクリートの構造物をはじめインフラを整備する工事を担当。小さい頃から道路舗装など重機が動いている工事現場を見るのが大好きだったとか。窪田建設に入社することで夢がかなう。趣味は野球観戦。

  • 寺平 土木事業部/2016年入社

    駒ヶ根市出身。高校の土木科を卒業後、入社。会社に入る決め手になったのは、高校3年生の企業見学会で窪田建設を見学して大きな仕事ができると思ったから。趣味はクルマの運転とバイクに乗ること。休みの日には、友達や会社の仲間と出かけることも。

自然の脅威を相手に
スピードが重視される工事

災害の起こった場所を教えてください
場所は駒ヶ根インターの東側、天竜川の支流である太田切川に架かる広域農道の新大田切橋直下です。天竜川との合流地点から、約5.5㎞ぐらいの地点でした。災害概要としては、2021年の8月15日までに大雨が降り、太田切川が増水。橋の下の川の底面が大量の水によって、洗堀(せんくつ)と言いますが、土が流されてしまい、平常時から比べるとだいたい河床が6mぐらい下がってしまいました。それに伴って、川に設置されているコンクリートの護岸も破損。このままでは広域農道の通行に支障が出ることが危惧され、国土交通省の天竜川上流河川事務所から、応急処置として別の会社が1週間ほど復旧工事を行なった後に、我々が下がってしまった河床を復旧する工事を請け負いました。8月24日から9月30日まで約1カ月、工事を行いました。
新大田切橋の下は、災害前はフラットな状態だったのですが、増水によって床固(とこがた)めのブロック積みが流され、河床が下がったところには段差6mくらいの滝ができてしまいました。滝の下の部分は全て土が流されてしまったのです。そして、フーチング部分(橋脚の支持力を増すために基礎の底面を幅広くした部材)が洗堀され露出。国土交通省の調査によると、ここの上流は河川の幅が広く流域面積が大きいのですが、ちょうど被災した場所は川幅が狭くなっているため、1カ所に水が集まって急激な流れになったのではないかということでした。
初めにどんな話があったのでしょうか
災害があって、すぐに天竜川上流河川事務所に呼ばれました。副所長から被害の状況の説明を受けて、復旧工事を行う方向だという話を聞きました。そこで、具体的にどういう工程で復旧していくかということを一緒に検討しました。
通常の公共工事では、入札が終わってから準備期間が1カ月半くらいあります。業者の選定や資材の運搬ルートの確認などの準備が必要ですが、今回は災害の復旧対応ということで、話があってから実際に工事を始めるまで1週間でした。大変短い期間の中で計画の立案から、工事の内容などを国土交通省の担当者とかなり綿密に話し合い、工事をやりながらも常に打ち合わせをして進めました。
緊急でしたから、国土交通省からはスピードを求められており、最初は24時間体制で工事を進めました。現場に来てくれた業者さんや作業員のローテーションを上手く組むことで、1日のできる内容を増やしていきました。
窪田建設としては河川の保全は行なったことがありますか
長年地域に根ざしている会社ですので、太田切川をはじめとする伊南地区の災害復旧工事というのは、いろいろと手がけています。ただ、またいつ雨が降るのかわからないという自然と対峙する復旧工事は、本当に緊張しました。

事故をしない、ケガをしない!
スタッフの安全が第一

実際にどのような工事を行ったのでしょうか
大きな流れとしては、洗堀された下流部分にテトラポッドを置いて、その部分に土を入れることで河床を上げていくということになりました。
テトラポッドを置いて、床固めができれば護岸の構造物が保たれ、新大田切橋の橋脚が持つということになります。
まずは小沢さんと一緒に現場を歩いて視察しました。私たちがやらなければいけないことは、6m下がった河床に入れる約1万トンの土の調達。どこから運んでくるかということが課題でした。天竜川上流河川事務所が災害用にストックしてあったテトラポッドは700個でしたので、補足分には巨石も集めなければなりませんでした。どのうように土を集めるか、どこから巨石を拾うかなどを2人で検討しました。結局、土は現場の下流、天竜川との合流地点から上げ、巨石もしっかり目視できたので、下流から持ち上げました。河床に足場になる道を造っては広げて、トラックでどんどん運びました。
それぞれどんな役割を担当したのでしょうか?
私は監理技術者として現場の工程管理、施工方法の計画・検討などを担いました。小沢さんは土木部長として、工事の全ての施工方法、進行を管理しました。
私は現場代理人として、全体の工程をはじめ、技術面での品質や安全の統括管理を行う責任者という立場でした。寺平さんは技術者として、自分の日々培ってきた技術で私たちのサポートをしてくれました。
どんなことが大変でしたか?
私の場合、発注者である国土交通省との折衝が大変でした。通常であれば水を止めて工事を行いますが、基本的には水を止めることなく、重機が入って行けるような場所を造りながら作業を行いました。
計画の段階から決まっていたことでしたが、24時間体制ということでは少し不安があリました。災害現場という非常に危険な場所での作業になるので、元請けの会社の担当者として作業員のみなさんが事故をしないこと、ケガをしないことなど安全面については全力で配慮しました。
私は自分の現場がある中、サポートのために夜、駆けつけました。初めて見る災害現場に、「すごいことになっているなぁ」と率直に思いました。夜の作業は事故につながりやすいので、資材の受け取りのみを行いました。小林さんに現地での据え付けは昼間にして、夜は車の誘導や荷物の受け渡しをと言われていたので、荷物の玉掛けの掛け外しを手伝いました。ここでも安全面を考慮し、玉掛けの道具でオートフックというものがあるのですが、自動で吊荷からフックを外すことができるので、安全に吊荷の上げ下ろしをしました。また、夜はダンプでの乗り降りも危険が伴うので、慎重に対応しました。
私も、そこで働く全ての人の安全の確保を第一に考えていました。今話に出ていたオートフックの使用や、ダンプの乗り降りなどの危険、特に目に見える危険は全てに注意を促し、気をつけるよう指示していました。若手の社員だからこそ、現場での危険性を把握してもらうことが大切。いずれ、自分が現場責任者になった時に、危険箇所をチェックしたり、注意や指示をしていかなければいけないので、日頃から危ないと思った時には、必ず声を出せと指導しています。「危ない!」と声に出して注意したり、一つの動作をする時にも周囲に声をかけた方がいいよと教えています。
今回の工事では、コンクリートの帯工の幅が2mしかない下での作業だったので、川の勢いでいつ壊れてもおかしくない状態でした。まさしく命がけです。水計を上流につけて、チェックしながら仕事をしていました。いつ壊れるかという危険と隣り合わせ、自然の脅威が相手の仕事でした。実際に、9月4日の夜には残ってた北側の護岸のコンクリートが一気に落ちてしまいました。当日は、50ml以上の雨が降って危ないと思い、河川の作業を中止させている時の出来事でした。9月1日と2日の晩はその下でブロックや玉石を詰め込んでいましたが、4日の昼間にパラパラといくらか崩れ出し、雨も増えてきたので、河川への立ち入りを禁止していました。「落ちた~!」と那須野さんから連絡があり「何が?」と大声を出しました。2m×2m×5mほどのコンクリートが落ちてしまいました。誰にも怪我がなくて良かった!と思った瞬間です。
大変な場面はどうやって乗り越えたのでしょうか
さまざまな現場での経験があったから事故は回避できたと思っています。大変なことを乗り越えられた理由は、この現場を早く復旧させたいという責任感とチームワークですね。
災害復旧に関しては、夜も昼も24時間やらなければいけないので本当に大変だと感じました。総務部の人が来てくれたりして、助かりました。
そうですね、総務部が人員の調整をしてくれました。実はこの時、会社としても手持ち工事がかなり多く、土木部からはとても応援を出せる状況ではなかったのですが、総務部から人が派遣され、専門でなくてもできるような安全管理などをフォローしてくれました。そのおかげで私と小林さんも交代で休むことができました。通常の公共工事がお休みの日には土木部の人も応援に来てくれ、業者さんも含めてさまざまな場面でバックアップしていただきました。
地域で注目されている工事だったので、現場には多くの人が視察に来ました。行政の方、地域の方などが視察に来てくれた時に、ねぎらいの声をかけていただいて励みになりました。周辺に住んでいる方も気になるようで、見学したいと言われたこともありました。そういう意味では、地域や行政を含めていろいろな方に注目していただいた工事だったと思います。

地域への貢献ができること
それが何よりのやりがい

プロジェクトを進める上でどんなことにやりがいを感じましたか
そうですね、毎日目に見えて工事が進んでいるのかがわかる現場でした。工事の進捗状況が日々変化していくような現場だったのでやりがいがありました。
私は宮田村生まれで、家は今回の現場から歩いて10分くらいの所なんです。小学生の頃は学校のプールには行かないで太田切川で泳いで遊んでいたというなじみのある場所。災害復旧の話があった時には、こういう仕事をしているのだから、自分がなんとかしたいというのが一番の思いでした。
やはり、そこになかった構造物が工事が終わった時にはできているというのが喜びですね。自分の住んでいる街に自分が関わっているものができていく事は誇りでもあります。
建築工事はお客さまが目の前にいますが、土木工事は役所の人が相手ということが多いです。けれどその先には地域の人たちがいると考えています。工事が終わった後の検査の時に「お疲れ様でした」「ありがとうございました」と言われると、地域の人たちもそう思ってくれているのではと思い、やりがいを感じます。
工事を終えての感想は
現場で一番大切にしていたのは、やはり安全を第一に工事を進めていくことです。事故を起こさないことと、怪我をしないということに気をつけました。安全に配慮しながら、現場の人が毎日しっかり仕事を終えて、無事に家へ帰れるように考えていました。それから工程的な面でも、完了の期間が決まっていた工事なのでそれに間に合うように、業者さんの手配であったり、材料、重機の手配、さらに現場の段取りを含めて、滞ることがないように、一番効率の良い方法を探して、進めていくということを大切にしていました。
最終的には無事故で終わることができ、地域のインフラを守れて、さらには会社としても評価をいただけて、次の受注にもつながりました。何よりの営業になったかと思います。一般の方たちは、新大田切橋の下でそんなに大変な工事をしていたことを知らずに道路が使えていたと思います。当たり前が当たり前であるということが大事で、我々は自分たちの責務を全うしたということです。
着工前と完成した後に写真を撮るんですが、雰囲気がガラリと変わるので、達成感が湧いてきますし、やりがいを感じます。小さい頃から現場を見にいくことが好きでしたが、大人になって自分の現場を持てたことで日々達成感を味わうことができています。
気持ちよく仕事ができたということが大きかったです。こちらの提案を取り入れていただき、感謝です。現場に来てくれた作業員のみなさんにも気持ちよく仕事をしてもらえたことはうれしかったです。達成感は大きいですね。
特に災害復旧の工事の状況などを説明すると大変な職業だなと思われるかもしれませんが、終わった後の達成感とか、直接的な意味で地域貢献ができるところは、とても魅力だと思います。
現場が好きな人はぜひ当社へ。これを自分が造ったんだと喜べる人が来てくれればうれしいです。工場勤めにはない、達成感があると思います。昨今は異常気象が多発しており、災害も多くなっている気がします。誰が地域を守り、誰が地域の建造物を修復していくのか…。窪田建設はそういうことができる会社です!
自分たちが暮らす地域を自分で守ることができる、やりがいが見つかる会社です。ぜひ一緒に働きましょう。
多様な働き方をサポート